大政奉還150周年 二条城二の丸御殿の国宝障壁画特別公開とアクアリウム

秋の行事

大政奉還150周年二条城二の丸御殿が特別公開されています。
大政奉還のあの時の広間が再現されています。
二条城の二の丸御殿国宝の障壁画も、
展示・収蔵館で原画と対峙!
大政奉還の意味や、二条城の歴史について、
知れば知るほど興味深く感じます。

  

大政奉還150周年二条城二の丸御殿特別公開

二条城 大政奉還150周年
2017年は二条城において15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を表明してから150年の節目

大政奉還という歴史の舞台となった二条城や、
徳川幕府の栄華の象徴・二の丸御殿の障壁画を、じっくり観賞できるチャンスです。

大政奉還とは、その意味はなぜ

大政奉還(たいせいほうかん)とは、
江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)に、
江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上し、
翌15日に天皇が奏上を勅許した政治的な出来事です。

江戸時代、徳川将軍は日本の統治者として君臨していましたが、
形式的には朝廷より将軍宣下があり、
幕府が政治の大権を天皇から預かっているという大政委任論も広く受け入れられていました。

幕末になると、朝廷が自立的な政治勢力として急浮上し、
主に対外問題(外交問題)における幕府との意見の不一致により、
幕府権力の正統性が脅かされる中で、
幕府は朝廷に対し大政委任の再確認を求めるようになった。

文久3年(1863年)3月・翌元治元年(1864年)4月に、
それぞれ一定の留保のもとで大政委任の再確認が行われました。

それまであくまで慣例にすぎないものであった大政委任論の、
実質化・制度化が実現したのです。

慶応3年(1867年)10月の徳川慶喜による大政奉還は、
それまでの朝幕の交渉によって再確認された「大政」を朝廷に返上するものであり、
江戸幕府の終焉を象徴する歴史的事件でした。

しかし
この時点で慶喜は征夷大将軍職を辞職しておらず、
引き続き諸藩への軍事指揮権を有していました。

その後、慶喜は10月24日に将軍職辞職も朝廷に申し出たのですが、
辞職が勅許され、
幕府の廃止が公式に宣言されるのは、
12月9日の王政復古の大号令においてです。

慶喜にとっての大政奉還の目的は、内戦を避けて幕府独裁制を修正し、
徳川宗家を筆頭とする諸侯らによる公議政体体制を樹立することにありました。

しかし、
大政奉還後に想定された諸侯会同が実現しない間に、
薩摩藩を中核とする討幕派のクーデターが起こってしまったのです。

二条城の二の丸御殿国宝の障壁画特別公開

400年の時を経て 今なおゆるぎない迫力を見せる障壁画、
その原画と対峙する空間
元離宮二条城 築城400年記念 展示収蔵館

秋限定の原画観賞 大政奉還150周年記念展示

二条城・二の丸御殿を彩る至宝の数々、
障壁画に描かれたモチーフや構図の意味、
手掛けた絵師たちの立場と部屋の配置に注目しながら見学してください。

二条城とは

二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある、
江戸時代に造営された日本の城です。

京都市街の中にある平城で、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるのですが、
現在見られるものは徳川氏によるものです。

また、
近代において二条城は京都府の府庁や皇室の離宮として使用されていました。

城内全体が国の史跡に指定されている他、
二の丸御殿(6棟)が国宝に、
22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、
二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されています。

さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に
「古都京都の文化財」として登録されています。

慶長6年(1601年)5月
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は上洛時の宿所として大宮押小路に築城を決め、
慶長7年(1602年)5月に、御殿・天守の造営に着工しました。

慶長8年(1603年)3月に、落成し天守は慶長11年(1606年)の完成です。

慶長8年3月12日、徳川家康は竣工間もない二条城に入城、
同月25日、室町幕府以来の慣例に基づく「拝賀の礼」を行うため、
御所への行列をここから発しました。

それに続き、
27日、二条城において重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行いました。
この時の二条城は、今の二の丸御殿までの半分でした。

「拝賀の礼」を行うための御所への行列や、
二条城において重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀は
慶長10年(1605年)に家康の息子の2代将軍秀忠
元和9年(1623年)に孫の3代将軍家光が踏襲しましたが、
曾孫の4代将軍家綱以降は行われなくなりました。

元和5年(1619年)2代将軍秀忠は、娘・和子の後水尾天皇への入内に備え、
二条城の改修を行いました。

寛永元年(1624年) 徳川家光が3代将軍、秀忠が大御所となった翌寛永元年から、
二条城は後水尾天皇の行幸を迎えるため大改築が始まりました。

城域は西に拡張され、敷地は約倍に拡張されました。

天守も拡張された西側に位置を変え、
廃城となった伏見城の天守を移築しました。

後水尾天皇の行幸は寛永3年9月6日(1626年10月25日)から5日間に渡っておこなわれ、
その間舞楽、能楽の鑑賞、乗馬、蹴鞠、和歌の会が催されました。

この行幸が二条城の最盛期だったと言えるのでしょうか。

行幸のために新たに建てられた行幸御殿は上皇となった後水尾院の御所に移築、
その他多くの建物が解体撤去されました。

寛永11年(1634年)7月 2代将軍秀忠死後、家光が30万7千の兵を引き連れ上洛し、
二条城に入城したのを最後に二条城が将軍を迎えることは途絶え、
幕末の動乱期までの230年間、二条城は歴史の表舞台から姿を消す事になってしまいました。

寛延3年(1750年)には落雷により天守を焼失。
さらに京の町を焼き払った天明8年(1788年)の大火の際には、
飛び火が原因で本丸御殿、隅櫓などが焼失してしまいました。

破損部分に関しては修理が行われたのですが、
失した建物については再築されることなく、幕末を迎える事となり、今に至ります。

二条城は、徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われた場所で、
江戸幕府の始まりと終わりを記憶している場所でもあるのです。

二条城の二の丸御殿 大政奉還150周年記念特別公開

第一弾 黒書院

2017年6月27日から9月3日まで
絵画の舞台~黒書院の一の間・二の間の障壁画~
黒書院の障壁画は、季節感と優美さが溢れている。
原画「松柴垣禽鳥図」「桜花雉子図」「桜閣山水図」を一堂に展示するのは7年ぶり。
黒書院は日本の四季を描いたこの上なく豪華な絵画が特徴。

黒書院は将軍とのうちわの対面場所です。
大政奉還の前日、徳川慶喜は近臣を黒書院に呼び集め告知しました。

第二弾 大広間 

2017年9月14日から11月12日まで
歴史の舞台~大広間の一の間・二の間の障壁画~
「大政奉還」の意思を諸藩の重臣に伝えた場所で、徳川家の権威を象徴する障壁画
「松図」「松錦鶏図」「松孔雀図」の原画を一挙公開。

大広間は将軍との公式の対面所です。
将軍が座ったときに背景となる「松図」は、将軍を庇護するかのように、
松の巨木が枝を伸ばしています。
床や格子状の天井が、一段高くなっており、二の間よりも格式高い様式になっています。

第三弾 白書院

2017年11月21日から2018年1月28にちまで
湖畔の眺望~白書院の水墨山水図~
白書院一の間、二の間「西湖図」の原画を展示。中国の水辺の情景を描いた障壁画。
室町時代以降、主人の教養の高さを示すため居室には水墨画が描かれた。
血脈重視の体制や絵の様式から狩野宗家・永徳の実弟・長信の作だという説が有力。

白書院は将軍の居室で、将軍がくつろぐための部屋です。
そのため金箔を使うなど派手さはなく、水墨画でシックな設えになっています。

遠侍と勅使の間

遠侍は諸大名たちの控えの間で、
二の間には「竹林群虎図」狩野甚之丞筆の障壁画があります。
中国などで虎は霊獣とされたことから入口付近に虎を配しています。
威嚇するような表情だけでなく、戯れる姿もあり、
猛獣でさえも手懐ける徳川の強さを誇示している。

勅使の間は別格の間で、遠侍の一部に特別な設えが施されている部屋があります。
朝廷からの使者を迎えるため、風雅な青楓が描かれています。

大政奉還150周年記念イベントアートアクアリウム城と大茶会

アートアクアリウム城~京都・金魚の舞~

2017年10月25日(水)~12月11日(月)
17時~22時 最終入場は21時30分
土日・祝日はスペシャルライブ開催予定
10月25日は一般入場開始時間変更の可能性あり

2015年以来、2年ぶりの二条城での開催
“和の世界のアートアクアリウム”がさらにパワーアップして帰ってきました!
アートアクアリウム史上最大の作品【超・花魁】が西日本初登場!

累計入場者数730万人!日本中が感動した“アートアクアリウム”が
教徒の夜を艶やかに彩ります。

『アートアクアリウム城』は、本展覧会唯一の野外展示で、最大級の展示規模です。
400年以上の歴史を持つ 元離宮二条城の中でも、通常は入城できない夜の時間帯に、
一般非公開エリアの、二の丸御殿中庭、台所前庭、台所という厳かな空間で、
日本の美の一つともいえる金魚や錦鯉を中心とした
“和の世界のアートアクアリウム”と、
着物など京都が誇る日本の伝統工芸品を新たな形で昇華、アートとして甦らせ、
未来を感じさせる“日本の真の美”を表現します。

また、会場内の台所前庭スペースには、『夜祭BAR』や『お茶席』が登場!
宴の雰囲気を演出するため、提灯明かりで艶やかに設え、
『夜祭BAR』や『お茶席』では京都の老舗の味をお楽しめます。

秋の夜長に開催される、新しくて絢爛豪華なお城の祭典を堪能できます。

第63回市民大茶会

第63回市民大茶会

裏千家(10月28日)、表千家(11月1日)、藪内家(11月3日)が、
1日ずつひらく大茶会を、
今年も二条城の清流園で3日間にわたり開催されます。

紅葉に染まる庭を眺めながら、各流派がおもてなしするいっぷくをどうぞ!

期間: 2017年10月28日、11月1日、3日

場所: 京都市 元離宮二条城 清流園
京都市中京区二条城町
元離宮二条城からの目安距離10m(徒歩約1分)

あとがき

二条城は、平成23年(2011年)度から、
国宝の二の丸御殿など文化財建造物を中心に、
城全域の修理や整備を行う予定で一口募金を募っているのですが、
応募は市の期待を大きく下回っている状態です。
クラウドファンディングで、
もう一度二条城に天守閣が出来るということはないのでしょうか?